会員コラム |
知覧特攻平和会館 大東亜戦争(太平洋戦争)は、1941年(昭和16年)12月8日、ハワイの 真珠湾奇襲攻撃によりはじまり1945年(昭和20年)8月15日敗戦という形で終戦を迎えた。 同盟国ドイツが降伏すると日本全土が苦戦。当時、日本政府は沖縄を本土の最前線と考え、その最前線を守るために特攻作戦が考えられた。 特攻作戦とは、重さ250kgの爆弾を装着した戦闘機で敵の艦船に体当たりして沈める、パイロットは必ず" 死ぬ・亡くなる" という『必死』条件の作戦だった。特攻作戦には九州の各地、台湾など多くの基地から出撃したが、戦死者1, 036名のうち、439名(中継基地となった徳之島・喜界島を含む)が知覧基地から出撃したとのことだった。本格的な特攻作戦は、陸海軍共同で1945年4月6日第1次総攻撃として始まり、1945年7月19日第11次総攻撃の終了まで続いた。 知覧特攻平和会館は、戦死された1036名の遺影・遺書・手紙などが展示してあった。二十歳前から30歳過ぎの若い男子が、いくらお国の為とは言え尊い命を捧げたこの作戦は本当に良かったのだろうかと、私は疑問を持った。本当に頭が下がる思いだった。 最近、憲法9条を変える意見がでたり、戦闘機等の部品輸出が武器輸出3原則の例外として認められたり。人の命を粗末にして平和を語ることはできない。時に我々は昔に学び、世の中に流されるのではなく、Noと言えるよう心しておかなければ為らない。 機会があったら知覧特攻平和会館を訪れていただきたいと思っている。 (A.M.) ![]() 鹿児島県南九州市知覧町郡17881番地 0993-83-2525 |
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