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庇を貸して母屋を取られる

 科学とは自然科学であり、客観性と再現性があるものと思っているのですが、先日、書店の店頭で読みたくなるような本を見つけました。『気になる科学 調べて、悩んで、考える』で、著者は毎日新聞名物科学記者の元村有希子氏です。2009年ごろから雑誌やブログなどに書いてきたエッセイをまとめた一書だそうです。

 書名には「科学」とありますが、老いや結婚、文学、旅行、ファッション…などの話題を織り交ぜつつ、「元村ワールド」が縦横無尽に展開されています。どれも、なんだか「気になる」科学。すべては「わからない」から始まる。気になる理由を追いかけて、今日も私は現場へ行くのだ。<四六判/336頁>です。

 要旨は、ウシやシカはどうして北を向くのか。Eメールと牛のゲップとCO2の地球温暖化な関係とは。iPS細胞・山中教授の「滑る話」?!名物科学記者による理系コラム。目次は、「食の現在」、「生命と老いを見つめて」、「エコなのかエゴなのか」、「宇宙へ」、「そして科学はどこへ行く」、「不確かさと真実と」、「されど女」、「とはいえ男」です。

 第一章「食の現在」の中の一節「庇を貸して母屋を取られる」を紹介しますと、『たいていの人にとって、微生物もウイルスも大きな差はない。どちらも生物に病気をもたらす「病原体」というぐらいの認識だ。しかし、両者は天と地ほど違う。
一つはサイズの差、微生物が光学顕微鏡で見分けられるのに対し、ウイルスは電子顕微鏡でないと見えない。

 だから人類は、1935年に米国の学者がタバコモザイクウイルスの結晶化に成功するまで、ウイルスをこの目で見ることができなかった。千円札でおなじみの野口英世は、狂犬病や黄熱病の病原体を「見つけた」として世界的に有名になったが、これらの病原体はウイルスなので実際には見えるはずがない。彼は別の「何か」を見ていたことになる。

 宮崎などで猛威を振るった口蹄疫の病原体もウイルスだ。家畜の伝染病では、ずば抜けて感染力が強い。人間、車、鳥、あらゆるものが運び屋になる。空気感染で数百キロも移動した例もあったという。

 口蹄疫の最大の解決法は「処分」だ。つまり焼くか埋めるかしてウイルスの息の根を止める。口蹄疫にかかった牛や豚の肉を食べても人間は感染しないのだが、流通する過程で広がる可能性があるため処分するほかない。

 生物学者の福岡伸一氏は「ウイルスは生物と無生物の間をたゆたう何者かである」(「生物と無生物のあいだ」講談社現代新書)と書いている。退治しても退治しても、その手をかいくぐるように変異し増殖する様子は狡猾な生き物を思わせる。だがウイルスは細胞を持たず、栄養摂取もせずエネルギ−を生産しない。そこが「生物でない」理由だ。

 ウイルスは宿主の細胞に入り込む。さりげなくその細胞に自分のDNAを入れ、宿主の細胞分裂と同じ勢いで増殖する。「庇を貸して母屋を取られる」という表現がぴったりくる。

 一方、病原体となる微生物は「ばい菌」と呼ばれ、悪者でも憎めないキャラクタ−とし描かれる。黒い全身タイツを着てヤリを持ち、イヒヒと笑いながら人体に侵入する様子といい、石けんや消毒薬で手を洗うと「あれ−」などと言いながら流れていく様子といい、どこか愛敬がある。

 私はたいていのことには寛容で、どんな悪人にも一つぐらい良いところがあると信じて疑わないのだが、ウイルスだけは寛容になれない。やなせたかしさんだったらどんな風に描くだろう。』

 「庇を貸して母屋を取られる」という意味は、一部を貸したばっかりに、しまいにはすべてを奪い取られてしまう。また、恩を仇で返されるということです。彼女は多分、現在流行中のインフルエンザを考えて見てもウイルスという奴は全くいやな奴だと言っているのではないでしょうか。

 須藤 靖東大教授(宇宙物理学)の書評では、書名から科学に関する蘊蓄本か啓蒙書あたりを想像したのだが、良い意味で肩すかしの、新聞記者による楽しい科学エッセ−集である。「役に立たない科学のどこがワルイねんオモロければエイやん協会」の会長を自任する私(ただし現時点で会員はゼロ)はすっかり共鳴した。早速名誉会員に推薦したいほどだと結んでいます。
以上、肩も凝らずに気楽に読めてストレスが溜まらない一冊でした。(TN)

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